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大昔の話です♪ - 沖田根艦長 URL

2024/03/02 (Sat) 14:59:54

30数年前の話ですが、二十歳前の知り合いの女性が艦長にこんなことを訊くのですね・・。

>女性
不祝儀があるので香典を持っていくのね。家にあったそれ用のね、のし袋があったんだけど、なんも書いていないのね。なんて書くの?

>艦長
色々あるんではないの?いくつか候補があると思ったけど、詳しくは調べないと判らんな・・

>女性
例えば・・「霊魂」?とか?

>艦長
うう・・・それは(笑)ふつうは御仏前やご霊前、お花料とかではなかったかな?「霊魂」か!斬新で良いぞ!(吹き出すのをこらえるのがつらかったな)

結局、どうなったか記憶が無いが(笑)さすがに「霊魂」はないだろうな♪あははは(*^-^*)

読書につて - 沖田根艦長 URL

2024/03/01 (Fri) 14:46:11

艦長にとって読書とは??


暇つぶしの一手段であります。それ以上でもそれ以下でもないっすね。

快晴だが北風が強い! - 沖田根艦長 URL

2024/02/27 (Tue) 14:35:29

神奈川は快晴で北風がすごいすね~~

米国大統領は露大統領をクソ野郎と叫び、露前大統領は米国大統領を老いぼれとののしる・・・やってますね~

クソは毎日出しましょう。便秘はつらいし、老いぼれになるとなかなかね、すっこーんとでないからね。そういえばフランス大統領マクロン氏をミッテランって呼んだって?う~~ん、大丈夫かなぁ?

天気が悪くて嫌になるです - 沖田根艦長 URL

2024/02/23 (Fri) 14:18:57

家に籠ってます~暇なんで遊んでます(*^-^*)

スッカラカンなオトコ

すっから「かんなおと」こ

大平洋戦争のメモ その19 - 沖田根艦長 URL

2024/02/19 (Mon) 14:26:15

勝てば官軍・負ければ賊軍

東京大空襲は、1945年3月10日未明に東京下町地区を標的としてアメリカ軍が行った大量無差別の航空爆撃作戦です。沖縄戦や広島・長崎への原爆投下と並ぶ太平洋戦争中の日本における大戦災となりました。。11万人以上もの日本人が死んだ空襲です。

サイパン・グアムを占領した米国は滑走路を作りB-29爆撃機による日本の軍事施設を目標に、高々度からの爆撃を開始しました。湾岸戦争やこのあいだのイラク戦争でのピンポイント爆撃など想像もできなかった時代ですから、多くの爆撃機が出撃し、目標の軍事施設めがけて爆弾を当てるには、大量の爆弾をばら撒くしか方法がなかったのです。結果はさっぱり。結局、司令官は更迭され、「カーチス・ルメイ」が司令官になりました。目標は低空爆撃の焼夷弾攻撃による相手国の戦意喪失を狙い、日本人を焼き殺すこと。要するに無差別爆撃ですね。低空爆撃ですから日本の戦闘機の迎撃を激しく受ける状況になり、対空砲火による被弾も増え、B-29爆撃機の損害が多くなるにつれて護衛の長距離戦闘機の発進基地と不時着用の滑走路の確保が急務となりました。それを硫黄島に米軍は求めたのです。かの有名な硫黄島の攻防戦です。結局、日本軍は玉砕しました。

戦争に負ければ日本軍の中国での爆撃は戦争犯罪になり、勝てば原爆や無差別焼夷弾爆撃も大戦果で英雄になる。市街戦でバッタリ敵と鉢合わせになった時、相手を銃剣で刺し殺した場合、この刺した兵士の国が勝った場合は勲章もので負けていたら、戦争犯罪で処罰されることもありうるということです。だからなにをおいても戦争を始めてしまったら勝たねば意味がないのです。負けるとわかっている戦争など絶対してはいけない。日本人はこのことを肝に銘じなければなりません。では?勝てる戦争ならしてもよいのかと聞かれたら私ならこう答えます。「集団的自衛権は日本にも存在する。」

カーチス・ルメイは「これからやることは、仮に戦争に負けたら犯罪人になる!」と、ちゃんと理解して作戦を遂行させたのです。この人間のことを悪い奴だと言うのは簡単ですが、米国が勝って日本が負けたのですから戦術や戦闘行為の結果について、日本からは糾弾ができないのです。糾弾すること自体は自由にできますが、日本政府がするわけにはいきません。東京裁判をとことん利用した米国が一枚上なのです。一部のメディアが大々的に扇動した結果、東京裁判史観を引きずった多くの日本人は、日本は悪いことを平気でしたのだと無邪気に信じ込んでしまった。戦争は良くない!戦争は悪だ!まったくそうで、誰もがそう思うでしょう。ならば、戦争がなぜなくならないのでしょうか?軍隊があるからですか?軍隊が悪いって叫んでる人がいます。叫んでる人にとって軍隊とは何ですか?ヤクザかゴロツキの集団なのですか?軍隊が悪いのなら、ほとんどの国家が悪を飼ってることになりますので、その論理の整合性はどのように説明されますか?観念ではなく、具体的な方策が知りたいのです。

勝たねば意味のないもの、それは戦争です。日本は負けて心までフヌケになり、戦後の日本政府は「カーチス・ルメイ」に勲章まで差し出したのです。常軌を逸した出来事でありました。これほどまでに骨の髄まで負け犬根性に成り果てた日本人の心は浮かばれるのでしょうか。国を売るのに血道をあげている一部のメディアが存在します。こういう人たちのことを「マワシモノ」と呼んでも間違いではないかもしれないと、私は思うのです。

発表期日 2005/03/13

※このメモは、この項目でしばらく休止いたします。ありがとうございました。

大平洋戦争のメモ その18 - 沖田根艦長 URL

2024/02/17 (Sat) 15:10:55

暫定協定

日米開戦前の日本の暗号解読技術は相当に、貧弱だったと考えていたのですが、そうではなかったらしい。最近、知ったことです。日本の暗号解読技術は優秀だったらしい。仮想敵国の暗号は解読できていたのです。東郷茂徳外相は、全てを知っていた可能性があります。

日米交渉で日本は、乙案という最終案を米国に提示しました。すなわち、日本はインドシナに対し、これ以上進攻しないかわりに、米国は石油輸出禁止を解除すると言うことです。米国の国務長官コーデル・ハルは「暫定協定」として、この案を受け入れるべく・・奔走した模様です。この「暫定協定」の内容を時の外務省は知っていたらしいのです。「暫定協定」の内容は日本の示した乙案と同じような内容であったという。だから、東郷外相は東条内閣にとどまっていたと言えるでしょう。

ここからが問題です。ハルは同盟国に「暫定協定」を説明して理解を求めました。しかし、中国の駐米大使は強行に反対しました。それはそうでしょう。この「暫定協定」が有効になった瞬間に中国は見捨てられたも同然で、日本に蹂躙されてしまうでしょう。石油が輸出再開されたら、日本は中国から撤退する理由がなくなるのです。

間髪いれずに、蒋介石の巻き返しが始まります。チャーチルに電報を打つ・・チャーチルからルーズベルトに中国よりの政策を取るように電報が打たれる・・ハルは中国大使に理解を求めようとして奔走する・・駐米大使の野村に乙案の米国側の返答を延ばしに延ばす・・ 焦った、野村大使は本国に状況を知らせますが、東郷外相は黙して語らず。なぜなら、乙案に沿った米国側の「暫定協定」が示されることを暗号解読で知っていたからです。ここが日本人らしい!黙して語らず・・

本当のことはわかりませんが「暫定協定」を提示する直前に大日本帝国海軍は、インドシナに艦隊を南下させました。ルーズベルトは「日本は信用できん!」そして、「暫定協定」は撤回され、「暫定協定」が野村大使に渡るはずだったのが現実は「ハル・ノート」であったと言うことです。石油輸出解禁の文字は微塵にもなく、挙句に、中国大陸から全兵力を撤退せよとのこと。黙して語らなかった東郷外相は青天の霹靂!そして戦争内閣の一員となり、戦後、東京裁判において事後法により有罪と言う天災に見舞われたのです。「暫定協定」がもしも、「ハル・ノート」にかわって日本に提示されていたら、対米戦争はなかったかも知れません。そして、日米両国やアジアのあれほど多くの人間の命が露と消えることもなかったのでは?と思うのです。

発表期日 2003/12/08

大平洋戦争のメモ その17 - 沖田根艦長 URL

2024/02/15 (Thu) 19:04:51

艦長の記事に対しての過去にあった返信です。

Responseその2 (2003/2/6 石上さん)

大東亜戦争の敗因について

私なりに考えてみました。最大の原因として戦略のない官僚制度を挙げたいと思います。日本軍は巨大な官僚組織でした。海軍の海兵何期卒というのは何年度入省という今のキャリア官僚と何ら変わりません。海軍は12月に人事異動が行なわれたそうですが、昭和16年12月には開戦があり、結局翌年6月のミッドウェー海戦直前に人事異動が行なわれることになったそうです。第二航空戦隊の指令部でも半数以上が入れ代わったそうです。このため山口司令官は慣れない参謀は相手にしなかったようです。(もしかすると最上と三隈の衝突の遠因も不馴れな人事配置にあるのかもしれませんね。)

基本的に2、3年程度でポストからポストへ渡り歩く官僚制度では長期的なそして大局的な戦略をたてようという動機付けがあろうはずもありませんし、個々人の責任をとるという制度ではありませんから無責任な部分も出てきます。このため栗田提督のような戦場とは反対の方向に行く癖のある人を年功序列に従って泊地に突入する艦隊の指揮官にしてしまったのです。先のお話にもありましたように誰が先任かということが、誰が指揮する方が合理的かということより優先されたのも元は同じことでしょう。このような不適材不適所の例は外交官を全く専門と違う国の大使に年功序列で任命する外務省で今でもよく見られます。もちろんこのような人事を行なっているのはキャリア組です。彼等は自らが下した結果に責任を持とうとしない場合が多く、実際栗田提督も自決もせず、何も語らないという無責任としか思えない一生を終えました。

翻って日露戦争を考えますとこの時の指揮官は多くは戊辰戦争からの叩き上げで、当たり前ですが、後に出現するキャリア組とは全く異なります。なかでも陸軍の児玉源太郎大将は戦勝のためには何が重要かプライオリティを考えていたようですし、旅順攻略戦でも必要な時に乃木将軍に代わって指揮を執り、戦術的にも成果を挙げています。しかも彼は内務大臣を辞めて、格下の陸軍参謀次長に就任しています。自らの地位なんかよりも国の事を考えた結果ではないでしょうか。

第三次ソロモン海戦も官僚制度の悪弊の結果と言えるかもしれません。石渡幸二氏も「ソロモンの海に消えた戦艦霧島」(中公文庫「軍艦物語」収載)の最後に「いまさら繰り言をいっても詮無いが、ただひとつ、ほとんど確信をもって言えるのは、米軍なら、必ずや『大和』を、この修羅場に投入していただろうということである。」と述べていますが、まさしくその通りと思います。どうして新鋭艦を投入しなかったかと考えますと新鋭艦を喪失した場合にはさすがに責任を追求されると考え、危険をおかさなかったからだということになるでしょう。艦隊決戦でなく、雑魚相手だと経歴に傷がつくということもあったかもしれませんね。あるいは天下りと同じように新鋭艦艦長を大事なポストと考え、失いたくなかったという考えもあるかもしれません。
 
海軍では敗因の一つにダメージコントロールの観念のなさを挙げることができると思いますが、これも官僚制度に起因する疑いがあります。第一次世界大戦のジュットランド沖海戦では英軍では戦艦、巡洋戦艦合わせて3隻が轟沈したのに対し、独軍では轟沈はなく、沈没も被弾後大分時間が経ってからのことでした。米軍はこれに習ってダメージコントロールを徹底して行ない、日本軍であれば沈むほどの被害でも大破で済み、被害を限局するように努めていました。これに対して日本ではそのような観念がなかなか生まれてきませんでした。官僚は自分にとって都合のよい展望をたてる傾向があります。チェックされるという機会が原則としてありませんから、展望や計画に恣意が入りやすいのです。平時にはそれでもあまり問題にはなりませんが、非常時には容赦なく不測の事態が起こります。もともと都合のいい事態を考えていた場合は勿論対応できません。

また、このダメージコントロールはオペレーションリサーチの問題でもあります。日本軍はどうも客観的に戦いを分析するということが不得手だったようです。これも官僚が自分に都合のいい分析を行なった疑いが強いと思います。砲術屋は航空機が活躍するという状況を受け入れ難かったでしょうし、水雷屋は夜戦がレーダーの進歩で成り立たなくなるという状況は受け入れ難かったでしょう。現在でも官僚は自らの省易にならない予想は行なわないことが多く、このため予想外の(予想したくなかった)出費が嵩むこともしばしばです。

全ての軍人がそうだったとはいいませんが軍の中を官僚的な雰囲気が覆っていて、敗戦をもたらした大きな要因になったのは間違いないと思います。

発表期日 2003/02/06

大平洋戦争のメモ その16 - 沖田根艦長 URL

2024/02/14 (Wed) 19:26:53

艦長の記事に対しての過去にあった返信です。

Responseその1 (2003/1/1 若麟さん)

ミッドウェー海戦について

まずは一点目。雷爆転装について詳しく書かれていますが・・・。実は、第2次攻撃隊の発進が遅れたのは雷爆転装だけが原因ではありません。当時「赤城」に航空参謀として座乗していた故・源田實氏によると、「『敵空母見ユ』という電報が入ってから発進までに時間をかけたのは雷爆転換もあるが、戦闘機をつけてやろうと思って上空にいた戦闘機をおろして燃料や機銃弾を補充していたため攻撃隊の発進が遅れた。敵の雷撃機が戦闘機なしのハダカで来て前記撃墜されているのを見て、味方の雷撃機をハダカのまま出すには忍びなかった」とのことです。これは意外に知られていないのではないでしょうか。

二点目。アリューシャン(作戦地名AO)への兵力分散は、次のような理由で行われた。

1.アメリカの大型爆撃機の基地を作れないようにするため
2.陽動作戦で敵艦隊をおびき出す
たしかにアッツやキスカにボーイングB29スーパーフォートレスとまでは言わないまでも、ボーイングB17フライングフォートレスやコンソリデーテッドB24リベレーター、マーティンB26マローダー等の基地ができたら日本の一部(北海道~千島列島)が爆撃圏内に入るということは間違いではない。しかしながら、アッツやキスカにそんな大型爆撃機の基地を作るのは地形上無理があるので、やはり結果論にはなるが北方作戦はムダだったといえるだろう。もしこのときアリューシャン方面に分遣されていた制式空母「龍驤」軽空母「隼鷹」がいたなら、ミッドウェー海戦はもう少し違った展開になっていたのではないでしょうか。

三点目。旗艦「赤城」が敵艦載機の攻撃を受けて戦闘不能となったとき、あるいは艦隊司令長官の南雲忠一中将が戦死した場合、艦隊の指揮権は重巡「利根」に座乗していた阿部弘毅少将に移行しますが、巡洋艦に乗っていては航空戦の指揮は取れません。通信能力が空母と比べて弱いせいです。ただ、阿部少将は航空戦の指揮をとった経験がなかったので、果たして通信能力の高い艦に乗っていたとしても結果的には指揮は取れなかったでしょうが。でも、解決策はあります。「飛龍」の山口多聞少将です。阿部少将の方が山口少将よりも先任の少将なので指揮権が阿部少将に移行するのですが、もしも大日本帝国海軍が先任序列の考えを改めていたら、こういう問題は問題ではありません。

四点目、急降下爆撃機によって「赤城」「加賀」「蒼龍」が被弾、赤城と加賀はかなりのダメージを受けて沈没したが、蒼龍は航空甲板をやられていたもののそれ以外の被害は少なく、航行可能でした。しかしながら、アメリカ潜水艦による魚雷を3発受けて沈没したのです。その後、無傷で残った山口多聞少将の座乗する「飛龍」も航空機を発進させますが、やはりアメリカ軍空母の艦載機による攻撃を受け、沈没します。

発表期日 2003/01/01

大平洋戦争のメモ その15 - 沖田根艦長 URL

2024/02/08 (Thu) 19:04:13

大和反転の謎(昭和19年 10月)

レイテにおける「捷一号作戦」の作戦目的は、フィリピンを奪還しようとするマッカサーの補給船団を壊滅させることであったと思います。聯合艦隊の主力艦がレイテ湾に殴り込みを敢行し、輸送船団を叩きのめすのです。そのために日本はあらゆる犠牲を払ってでも主力艦隊(栗田艦隊)をレイテ湾に突入させるため、ただこの一点にすべての作戦行動が立案されました。おとりの機動部隊を投入して米軍の機動部隊を誘い出し、その隙を突いて戦艦大和を筆頭に(武蔵はレイテにたどり着く前に撃沈されてしまったが)主力艦隊が突き進むのです。神風特別攻撃隊は作戦が有利に運ぶように、初めて編成されました。作戦行動は日本の思惑通りに行く一歩手前まで行ったのです。

ハルゼー機動部隊は、おとりの小沢機動部隊に誘い込まれてレイテを離れました。レイテ湾は輸送船団だけになってしまったのです。小沢機動部隊はハルゼーの攻撃で大損害を出しましたが、誘い出すことに成功したのです。レイテ湾はガラ空きです。米軍主力艦隊と誤認した栗田艦隊の攻撃を受けた米軍の護衛空母群は、大慌てでハルゼーを呼び戻します。さあ、レイテの輸送船団の運命は風前の灯火・・46cmの主砲が唸りをあげて船団を壊滅させる、と米軍兵士は誰もが神を呪ったことでしょう。ハルゼーは慌てて戻ろうとしますが、もはや間に合わない!これぞサムライの意地でしょう!栗田艦隊は結局、ハルゼーの航空兵力によってレイテの海に沈む運命でしょうが、作戦目的は達成されます。マッカサーの計画は頓挫する。これほどうまくいくとは!

ところが、戦艦大和座上の栗田健男司令長官は、レイテ湾突入をやめて反転してしまうのです。何故?大和をレイテに突入させるために、どれだけの日本兵の命が犠牲になったのでしょうか。栗田長官!何故なのですか?戦後、さまざまな形で非難されましたね。長官は多くを語らず鬼籍入られてしまいましたが。残念です。でも作戦が成功していたら、マッカサーのフィリピンでの侵攻計画が遅れ、終戦が8月以降に延びる結果となり、ソ連が北海道を占領して「日本共和国」が存在してしまったなんてことが、可能性を考えたらあり得ない話でない。その意味では、これでよかったのかも知れませんが。

大本営の要請と聯合艦隊の希望が食い違っていた。この一点に尽きると思います!日本があってこその聯合艦隊なのに。聯合艦隊があって日本があるのでは決してありません。国家の意思がレイテ湾突入なら国家の意思に(命令)に従うのが軍隊でしょう。艦隊決戦よりも輸送船団の壊滅でしょう?土壇場で艦隊決戦を優先させる作戦行動をとるとは・・どのように考えたらよいのでしょうか?大本営も「レイテの中で沈め」と何故、栗田艦隊に引導をはっきりと渡さなかったのでしょうか?「聯合艦隊は相手戦艦と砲撃戦をやりたい。大和は相手戦艦に主砲を撃ち込みたいのだ。結局、栗田艦隊はただその一点が行動論理だった。」と、それが自己目的化し、国家がないがしろにされのかも知れないと私はそう思うのです。

いよいよ、レイテ湾に突入と言うところで北方に敵主力艦の発見との電文?(これがよくわからない。なんだったんだろう)を信じ、反転してしまう。救われたのは米軍輸送船団!何が起こったのかわからないが、とにかく救われたのだ!やはり神のご加護は我々にはあると、信仰心を深めた将兵が多かったことでしょう。栗田艦隊は当然、相手主力艦と遭遇できず、日本に戻ります。聯合艦隊は名前だけになり、沖縄戦で沈むまで大和は不要となったのです。

不要にならなかったのが「特攻」です。零戦は「明日という言葉が不要な空」に飛んでいったのです。

発表期日 2001/04/20

大平洋戦争のメモ その14 - 沖田根艦長 URL

2024/02/06 (Tue) 15:30:07

マリアナ沖海戦その二

スプルーアンス艦隊の射程外から小沢艦隊から発進した攻撃隊250数機は、長い道のりを経て疲労の色が濃く、練度が未熟なパイロットには大変辛いことであったろうと推測できます。アウトレンジ戦法のため米軍からは小沢艦隊は攻撃されない。理想の戦法であるがソフトウェアーがついていかない。そこに第一の作戦上の狂い(第一の誤算)があったと思います。

さあ、いよいよ米軍艦隊までの距離200Kmというところで米軍の高性能レーダーに補足され、スプルーアンスは次のような布陣します。戦法は新型艦上戦闘機グラマンF6Fをなんと約450機を集中投入しての待ち伏せです。なんと450機もの戦闘機だけを空母群から発艦させたのです。この集中投入が素晴らしいではないですか!小沢攻撃隊が米軍艦隊の100km近くまで来た時、F6F全機の迎撃ダイブ戦法の集中攻撃を浴びました。火を噴く零戦!艦爆!艦攻!あああ!どれもこれもF6F戦闘機に叩き落されていきました。この素晴らしい性能の戦闘機のこれほどまでの集中投入を予見できませんでした。ここに第二の誤算があったのです。戦闘機の集中投入はさすがに合理的な考え方だとおもいませんか?

それでもこの攻撃の中を突破した攻撃隊は米軍艦隊に迫って行きます。頑張れ攻撃隊!思わず応援したくなるではないですか!しかし、スプルーアンスは空母を中心として、周りを戦艦・巡洋艦などでぐるりと配置した「輪型陣」で布陣させています。空母の中に入ってくる攻撃機を集中砲火で撃退する!そこで活躍するのがVT信管付砲弾のレーダー照準対空射撃システムです。これが、第三・第四の誤算であったのです。死角がまったくありません。バタバタと叩き落される日本攻撃隊!米軍のテクノロジーの勝利した瞬間です・・・

スプルーアンスは、テクノロジーの進歩を日本に充分見せ付けました。これほどワンサイドゲームになってしまうほどテクノロジーとは素晴らしくもあり、恐ろしですね。小沢攻撃隊は全滅に等しいくらいに壊滅してしまいました。母艦まで生還した日本機は数えるくらいであったとか・・

攻撃隊を壊滅させたスプルーアンス艦隊が小沢艦隊を見逃すはずはありません。見敵必殺!古来からの格言通り、今度は距離を詰め攻撃可能範囲内に到達した米国機動部隊の攻撃です。結果、小沢艦隊は散々な目に遭い、聯合艦隊機動部隊は壊滅し、とうとう立ち直れなかったのです。そして、サイパンはB29の発進基地となりました。その後の聯合艦隊は機動部隊を中心とした作戦が困難になり、レイテ海戦のような有様となるのです。この海戦で亡くなられた若きパイロット・将兵達に、合掌。

発表期日 2001/04/03

大平洋戦争のメモ その13 - 沖田根艦長 URL

2024/02/04 (Sun) 15:34:48

マリアナ沖海戦その一(昭和19年 6月)

マリアナ沖海戦は「マリアナ沖の七面鳥撃ち」と米軍の兵士たちに言われました。鉄砲で七面鳥を簡単に撃ち殺すことができるような楽な戦闘だったと言うことです。この場合の七面鳥とは「あ」号作戦小沢中将第一機動艦隊の攻撃隊の戦闘機・攻撃機・急降下爆撃機の各日本機です。ああああ。悲劇の日本パイロット達よ!無念であったでしょうね。あなた方は勇敢に戦いました。あなた方に一点の非はありません。戦争計画があやふやな大本営にすべての非があるのです。テクノロジーに無理解な作戦中枢の輩たち、センサーを人間自身でまかなえという「かけごえ」の前では論理的・合理的な考えはすべて排除されてしまったのです。

サイパンがスプルーアンス大将率いる米第五艦隊に蹂躙され、これを撃退すべく出動した小沢長官率いる聯合艦隊機動部隊との大海戦が起ったのです。小沢艦隊が初めに米機動部隊を発見!小沢長官必殺の「アウトレンジ戦法」が成功するすべての条件が日本側にありました。すべての日本攻撃隊の艦載機の航続距離が米軍側のそれより上回っているので、敵の射程外から攻撃できる理想の戦法です。小沢中将は勝利を確信!しかしスプールアンス艦隊は小沢機動部隊、いや、聯合艦隊司令部でさえ想像もしなかった新装備をして待ち伏せをしていました。それは次のものです。

1. 日本側のものより遥かに高性能のレーダー
2. レーダー照準で全ての火器を集中砲火させるシステム(CIWS)
3. VT信管の砲弾(信管自ら電波を出し、敵を感知すると自動的に爆発する)
4. グラマン「F6F」新型戦闘機の集中投入(零戦はまったく歯が立たなかった)

この四点です。とにかく戦闘機の集中投入が物凄い!日本の未熟なパイロットたちに何とかしろと言っても、どだい無理な話だったのです。負け戦は何をやっても裏目に出るのでしょうか。

発表期日 2001/04/02

大平洋戦争のメモ その12 - 沖田根艦長 URL

2024/02/01 (Thu) 15:47:42

三川艦隊の不可思議

昭和17年8月8日、第一次ソロモン海海戦の「三川艦隊」の活躍は、いくつかあったガダルカナルの海戦で完全勝利を収めた稀有の例でした。

第八艦隊司令「三川軍一中将」率いる巡洋艦主体の艦隊は、夜戦で相手巡洋艦の艦隊を完膚なきまでに叩き潰しました。米国がこれほどまでに叩きのめされるのは、真珠湾攻撃以来のことかも知れません。ほとんどの軍艦が砲撃と必殺酸素魚雷で全滅に近い打撃を受けました。三川艦隊はガダルカナル島に停泊していた補給輸送船団を壊滅させるため、夜間に殴り込みをかけたのです。ボーっとしている補給船団の護衛艦隊を発見すると、日ごろ鍛えた夜戦訓練の成果を遺憾なく発揮し、パーフェクトに殲滅しました。相手艦隊はなすすべもなく、海の藻屑と消え去りました。よって、米国において「三川軍一」の名前は、永久に残ることとなりました。日本ではほとんど忘れ去られています。

三川艦隊の作戦目的は相手輸送船団を壊滅させることでした。しかし、この海戦後、三川艦隊は夜が明けてからの、相手の航空機の攻撃を恐れ、輸送船団を目の前にして反転してしまいます。輸送船団は無事で、結果的にガダルカナル島の米軍は完全な補給を受けることが出来たのです。もし、この時、三川艦隊が自分の艦隊の損害をこうむるであろうことを承知の上で、作戦目的を達成させるべく砲撃をしていたら、裸の輸送船団を完全に壊滅出来たかも知れません。米軍は三川艦隊の米国艦隊への攻撃について、後に賞賛を惜しみませんでしたが、さっさと引き上げたことについては、なんとも不思議な戦法だったと、首を傾げたということです。 なんとも残念ではないですか。作戦目的が達成されていたら、まさにこのとき、ガダルカナルの戦いは違った方向に行っていたことでしょう。

なんとも不思議でしたが、不思議の最たるものは捷一号作戦の「大和のレイテ海戦における謎の反転」です。ご存知ですか?栗田長官は戦後、多くを語らず世を去られましたが。作戦目的がこうも無視されたという見本です。聯合艦隊の組織的な作戦はこれ以後ついぞありませんでした。この件については項目を改めて述べてみたいと思います。

発表期日 2001/03/19

大平洋戦争のメモ その11 - 沖田根艦長

2024/01/30 (Tue) 19:10:32

仮想 中部太平洋大海戦

真珠湾攻撃がなかったと仮定します。オランダと英国に宣戦布告した日本は、石油資源を確保し、英国艦隊を撃滅して一応防御態勢を築くとします。しかし、このシナリオは長期持久戦の態勢であります。そもそも日本に長期持久戦ほどそぐわない戦略はありません。長くなればなるほど、休戦交渉ができにくくなるからです。日本のシナリオは短期決戦です。結局、米国との戦争は避けられなかったのかも知れませんが、米国太平洋艦隊を中部太平洋で捕捉、撃滅することしか休戦交渉を有利に導く方法しかないのです。その際、米国の要求をある程度飲んでも良いではないかとも思います。国土が焦土と化すよりよっぽど良い。原爆は当然開発され実戦配備されるでしょうから。ハル・ノートの一部か大半を飲むポーズを見せ、継続交渉に引きずりこめばよかったのでは? と思うのですが・・全て後知恵ですけどね。米国太平洋艦隊が機動部隊を引き連れて中部太平洋に進攻してきたという想定で考えてみることにしましょう。

当時の米国海軍は大艦巨砲主義の塊でした。戦艦こそが一番であると思っていましたし、日本には絶対負けないと思っていましたが、大和や武蔵の存在を把握していませんでした。零戦についても、どのような性能の戦闘機か知る由もありません。中国戦線方面で新型の高性能戦闘機の出現の情報を得ていたようですが、「ジャップが飛行機の操縦をすることなど、できるものか!」くらいの認識しかなかったようです。日本側は哨戒線を張り、聯合艦隊の初めての対米国戦のため情報管制は実際の真珠湾攻撃時以上に完璧なものであったろうと想像できます。そして、迫りくる米国太平洋艦隊を完全に捕捉できたでしょう。オレンジ計画では、米国は艦隊を日本の方向に突進させるのですから。捕捉されて当然です。

この海戦で敗れたらそれまでです。まさに、「皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ!」 この日のためにこそ!!聯合艦隊の持てる力を集中投入するのです。大和の46cm主砲の射程距離は米国の戦艦の比ではなく、完全なアウトレンジで一方的に攻撃できたでしょう。相手の砲弾は大和に届かないのですから。まず、機動部隊空母群を屠り、戦艦の主砲で相手戦艦を沈め、残存艦隊を巡洋艦や駆逐艦の必殺酸素魚雷で壊滅させる。日本海海戦の時のようなパーフェクトゲームで終わるでしょう。この結果、米国は日本に対して有効な攻撃は相当な期間、できなくなります。完全に中部太平洋は日本の内海となるでしょう。しかし、いつまでもこれを維持してゆくのは至難の技です。そこで、休戦交渉です。それしか日本の選択肢はあり得ないのです。

このような日のためにこそ海軍は膨大な予算をつぎ込んで艦隊を維持し、そして、日ごろの猛訓練をしてきたのではないでしょうか。負けたらそれまでで、負けたときのことを軍人は考えなくても良いのです。戦闘行動以上に何を責任を取れと言うのでしょう?軍人に・・その他のことは政治の問題です。そうは思いませんか?しかし、政治を軍人がやっていたのですから、「なにをかいわんや」ですけどね。

発表期日 2001/03/09

大平洋戦争のメモ その10 - 沖田根艦長 URL

2024/01/28 (Sun) 15:03:42

真珠湾攻撃がなかったら

真珠湾攻撃がなかったとしたらどのようになっていたのか、これほど興味深いものはないでしょう。なぜなら、当面、米国と戦争しなくても済むからです。石油はオランダから分捕れば良いでしょう。米国の権益を損ねるような真似さえしなければ良いのです。米国は米国から宣戦布告できないのですから。なぜなら、ルーズベルト大統領は決して戦争を致しませんと言って当選したのですからね。だから、英国がドイツにメタクソにやられているときでさえ援軍を差し向けることはできませんでした。チヤーチルから矢の催促をされても動けなかったのです。ドイツはドイツで絶対米国の艦船を攻撃しないよう、Uボートの艦長に厳命してあったそうです。

そんな時、日本が真珠湾を攻撃したものだから、狂喜乱舞のホワイトハウスであったろうと思われます。日本が米国に宣戦布告をしたことについてヒットラーはさぞかし、驚愕したことでしょう。ドイツはなにも米国に宣戦布告しなくてもよい立場でしたが、日本の顔を立てて?、米国に宣戦布告をしました。仁義を持っていたのでしょうか?

オランダと英国だけに宣戦布告すれば良かったのだと思います。そうすれば真珠湾まで行って大艦巨砲主義を根底から覆さなくてもよいことになります。手の内を見せなければ、相手は発想を転換しない。聯合艦隊は相手の艦隊が太平洋のどのあたりに来るのかを考えていればよいことになります。日本海海戦の時のように・・・

あまりにも航空機の威力を見せ付けたのが真珠湾攻撃でした。米国は大艦巨砲主義をあっさりとなげうって、航空母艦と艦上機を大量に生産したのですから。

発表期日 2001/03/04

大平洋戦争のメモ その9 - 沖田根艦長 URL

2024/01/27 (Sat) 19:32:05

ガダルカナルの空

兵力の集中投入!これがこの戦争では、日本は出来ませんでした。それに、米国と開戦したはよいが、どのように戦争を終わらせるかがハッキリしません。兵力の集中をするのであれば、何も真珠湾まで行って派手に暴れ、空母の威力を米国に見せつけなくてもよかったのではないでしょうか。英国とオランダだけに宣戦布告するオプションもあったのではないでしょうか?東南アジアの石油を分捕って、なおかつ米国の利害地域には進攻しない。なにも機動部隊の実力を米軍に見せることはない。ひょっとしたら米国はあっけらかんと旧式戦艦部隊の太平洋艦隊が旧式戦闘機などを載せた空母機動部隊を連れて、のこのこ中部太平洋に出てきたかもしれません。まさにそのとき、聯合艦隊は兵力を集中投入できたと思います。例の日本海海戦のときみたいに。考えただけでも、わくわくしませんか?米国太平洋艦隊は木端微塵だったでしょう。もう米国は太平洋を押し渡ってくることが、当分出来ません。でも、それから先・・日本は何をするのでしょうか。結局、戦争目的がなかった・・と言うことになるのでしょうか。

かの「ガダルカナル島の基地」は最初、日本海軍航空隊の水上機基地として設営され、大本営はその島の存在すら知らず、海軍が勝手に滑走路を作ったらしい。それを察知した米軍が、ここが太平洋戦争の要地と認識し、大軍で占領したのです。あわてた日本が奪回作戦をするのですが、敵を見くびりすぎ相手が大軍かも知れないと言うことを思考から意識的に外す・・合理的に判断したのではありません。「わーっとやれば、ヤンキーはに逃げるだろう!」という勝手な希望的観測で作戦が立案され・・小部隊を派遣したらあっという間に全滅!じゃ、中部隊では、で、全滅! やっと大部隊を上陸させますが、させるだけで補給ができない。米軍は大部隊で制海権を握り日本の補給を成功させないようにする。そこで、例の公式が当てはまります。なぜ、制海権が握れないのか?制空権が握れないからだ!なぜ、制空権が握れないのか?残念ながら、戦闘機が弱かったからです。この時はすでに、零戦の秘密が米軍に筒抜けです。また、零戦の航続距離を最大限に計算し、あとは気合で乗り越えろ?という大本営の作戦の過ちとあいまって、零戦はぎりぎりのところで戦う羽目になりました。空母機動部隊ではなく、ラバウルの陸上基地から零戦は過酷なガダルカナルの消耗の空に向けて、飛んでいったのです。

制空権がなかなか取れない!制海権もままならない。上陸した陸軍部隊に補給ができない!阿鼻叫喚の世界が展開されました。飛行場の奪回は日本陸軍の専売特許の万歳突撃!大失敗!失敗に次ぐ失敗。輸送船は決まって撃沈されてしまう。生き残りの日本の兵隊さんのなんとかわいそうなことか!奪回するんだと、断固たる決意があったなら・・大和を先頭にして、聯合艦隊の無傷の空母機動部隊と大戦艦部隊がガダルカナル島の米軍基地目がけてドカドカと主砲を撃ちまくって粉砕していたら・・ガダルカナル攻防戦は日本陸海軍の勝利になったかもしれません。所詮、後知恵のことですが・・兵力の集中さえしていたら、零戦もあれほど消耗しなくてもよかったのでは?熟練パイロットが少なくなり、弱みを握られた零戦を未熟なパイロットが操縦桿を握り、その弱点を知った米軍パイロットが一撃離脱戦法で零戦を上空からのダイブで火を吹かせて撃墜する・・というお決まりのシーンが増えていきました。悲しい出来事・・残念です。

発表期日 2001/02/24


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